のうみそプロレス

できれば面白い文章が書ける人になりたかった

MENU

海野翔太&吉田綾斗のワールドタッグリーグ2018は棚橋弘至そのまま?

 

新日本プロレス年内最後のビッグシリーズ。「ワールドタッグリーグ

 

1.4東京ドームでのカードが決定している選手は未参加

 

という方針は去年の初発表から変わらず。なので、ネット上では、

 

新日本プロレスイースタンリーグか」

 

などという心無い声が聞こえたりします…

 

しかし!そんなことは一切ない!

 

みんなで「脳内ロード・トゥ・東京ドーム」を繰り広げていきましょう!

 

造反勢がバレットクラブに加入してくるなか、このリーグ戦では”噂の”裏切り者が出てくるんじゃないかという予想を立てました。

 

今回は、今一番注目すべき若手タッグ・吉田綾斗選手&海野翔太選手組。

 

若手主体の興行である、「ライオンズゲート」をよく観に行かれる方や、

通常のシリーズでも第一試合からキチッとみる方は、この2人がいかに期待されてるかご存じでしょう。

 

海野選手は生え抜きの選手ですが、吉田選手はKAIENTAI DOJOでデビューした選手。

KAIENTAI DOJOではタッグチャンピオンになるなど、今一番ノリに載っている選手。

 

このタッグが、体格では大きく上回るバレットクラブ勢やKESなどにぶつかっていく姿は、想像するだけでワクワクします!

どうやって、スーパーヘビー級の相手を攻略していくのでしょうか?!

 

そして、この2人より少し上のキャリアの選手がエントリーしています。

それは、トーア・ヘナーレ選手。

 

吉田選手より4年程キャリアが長く、地元ニュージーランドの団体でデビューしてからは、世界中の団体を渡り歩いてきた「ノマド・レスラー」。

 

新日本に参戦し、今年の初頭からリングネームを変え、ニュージーランドの先住民コスチュームに変貌。

 

この、「勢いがある若手タッグ」と、「それより少し上で、もがいている選手」という構図をみると、あの時代のあの選手たちを思い出します。

 

棚橋弘至選手と鈴木健三選手(現 KENSO選手)の「タナケン」こと

 

キング・オブ・ザ・ヒルズ」

 

ヤングライオンを卒業したての二人が、若手の旋風を巻き起こそうと組んだタッグ。

「KOTH」というロゴのTシャツは、プロレスマニアである内藤哲也選手も着用して会場に応援に行ってたらしいですね!

 

甘いマスクの棚橋選手に、男らしいごつっとした鈴木選手のタッグは、とても期待されたタッグでした。

 

そして、その少し上のキャリアであり、同じヤングライオン杯に出場し準優勝するも、

優勝した鈴木選手と、予選敗退した棚橋選手に抜かれてしまった男。

 

そう、真壁刀義選手です。

 

確かなテクニックとパワーは持っていましたが、棚橋選手ほど活躍の場が少なかった

真壁選手。

鈴木選手は新日本を離れ、WJそしてアメリWWEへと戦いの場所を移しました。

 

棚橋選手も、U-30選手権という、若手によるチャンピオンシップの設立を提唱。そこにチャンピオンとして立っていたのは、棚橋選手と中邑真輔選手でした。

 

吉田選手&海野選手組とヘナーレ選手をみると、こんなことを思い出すのは私だけでしょうか…

 

そして、ヘナーレ選手のタッグパートナーは、真壁刀義選手!

 

ここまでくれば、単なる偶然ではないでしょう!

 

プレイバック・キング・オブ・ザ・ヒルズを提唱し、平成最後の先輩越えか?

 

それとも、時代は繰り返されず、「南半球の日本」と呼ばれるニュージランド出身の

「新真壁」こと(ニュージランドは漢字で”新”)トーア・ヘナーレ選手と

真壁刀義選手が壁となるのか?

 

 

そして、忘れてはいけない「若手の壁」と言えば、

 

「第三世代」

 

最近では、主要シリーズでほとんどお目に掛かれない第三世代の面々ですが、

会場人気は絶大です。

 

90年代から2000年代を駆け抜けたこの4人。

時にライバル同士、時に同じコーナーに立ち時代に向かって共に闘ってきました。

 

天山広吉選手がデビューしたのは1990年、小島聡選手は翌年の91年。

永田裕司選手と中西学選手はその翌年92年にデビューしています。

 

この年が何を意味するのか。

 

吉田綾斗選手が生まれたのは1992年。

 

そう、永田裕志選手と中西学選手のキャリアと吉田選手の年齢は同じなんです!

 

テンコジに関しては、それ以上!

 

まさに

「こっちは、あんちゃんが生まれる前からプロレスやってんだよ!」状態。

 

そして、海野選手が生まれた年は、1997年。

この年は、中西選手・小島選手のタッグ「ブル・パワーズ」がIWGPタッグを

戴冠した年。

天山選手に至ってはその前から、蝶野正洋選手との「蝶天タッグ」で既にチャンピオンになっていました。

 

永田選手は中西選手とのタッグで、1999年の神宮球場大会にて、

”狂犬”小原道由選手・後藤達俊選手組からIWGPタッグ初戴冠を達成します。

 

しかも、この大会では、伝説のグレート・ムタVSグレート・ニタ戦」がありました。

 

その試合を裁いていたレフェリーは、海野レフェリー。

海野選手のお父さん!

 

ここまで出来上がったこじつけ…いや、 ストーリーはあるでしょうか!?

この20年越しの「伏線」をタッグリーグ本線ではどう「回収」してくれるのか。

 

二つの回顧録は、タッグリーグをより熱くさせてくれます!